身をもった学び

今朝の地方版の新聞から、

医療の関係者間が認知症の勉強会を開催している情報にとてもありがたく思います。

認知症の人を兄弟にもつ家族の身からも

涙が出るほど嬉しいことです。

本人は、今の医療制度において、

とても珍しいくらい面倒見の良い病院から

3日前無断で抜け出しました。

興奮・妄想状態を引き起こし

医療現場の人等には、

心がえぐられるような言葉や

パンチ、

ビンタをはり、

老いた親の元に歩けない状況下の中、

後に本人も『どうやって帰ったかわからん』と言っておりましたが

歩いて靴下のまま帰っていきました。

『殺される―』と血相を変え、

シャッターシャッターと母に言い、

まる二日間は、薬剤は全く入らない状態で、

食事も母が作った粥を3分の1ほど1回のみ食べることができ、

あれほど苦しんだ痛みも全くなく、

意識は、そのまま正常に穏やかに働いていました。

2日目の朝、それまで全く聞く耳を持たなかった本人は、

立つこともできなくなり、

這ってトイレに行き、

『すまんなー。こんなつもりではなかったー。迷惑かけたなー』と観念したように

車にも乗れずやむなく、

心をほぐす言葉をいただけた救急隊の人々と共に

病院へ戻りました。

昨日の一連の出来事から今でも思い出すと涙が出ます。

夜に多い不穏、

妄想

作話

興奮と明らかにレビー小体型認知症の症状と家族の診断であります。

今、環境が合わない認知症の人にとって

妄想からの行動は記憶になく

安心する場所で過ごせる環境がどれだけ必要なのか、

人生の質を思うとせめて1週間でも3日間の命であっても、

訪問介護、

訪問看護、

在宅往診医、

この大事な人等が揃わない環境において人生最後の章をどのように

兄弟の人生を支援すればよいのかと、

家族の立場で自問自答の繰り返しをしていますが、

難病を患いスイスまで死を選択に行ったTVから渦のように

本人の立場、

家族の立場の深い思いが襲ってきます。

医療費削減

病院撤退案など経済優先から様々な意見が飛び交いますが、

経済優先だけでは片付けられない

今の時代背景にあったコンパクトな認知症の人の最終章の施策が必要と

認知症ケアの知識からでは学ぶことのできない兄弟の痛みに感謝し、

介護する家族の痛み、

本人の痛みから

表記させていただきました。