日本最古の慈善活動
日本の古い歴史の中には聖徳太子が593年仏教の慈悲の思想に基づき、
貧しい人や孤児を救うために非田院(ひでんいん)が作られたと伝承があり、
記録上では、723年、
皇太子妃時代の光明皇后が設置したものが日本最古のものであるという。
奈良時代には、
中国東部の揚州(江蘇省こうそしょう)で生まれた鑑真和上が12年の辛苦を乗り越え、
仏教の受戒だけを目的だけではなく、
戒律を説き、民衆を救う為にと修行場を建て、
修行からの実践の場を提供し、
医療活動をはじめ、社会事業をともなう慈善活動を中心に据えたという。
いっさいの衆生を救い、すべてを包括した上での受戒が位置づけられた。
唐招提寺でもっとも重要視される教典の中には、
「止悪(しあく)、作善(さぜん)、利他行(りたぎょう)」が、
述べられ、「悪いことをしてはいけない」
「よいことをしよう」
「他人に対してよいことをしよう」と説いていると言い、
益田 快範(ますだ かいはん)84世 長老は、
「自分で自分を律する、これは律宗では『戒』といい、
相手の立場に立って考える。つまり利他行が大事であり、
そこから、人と人との心の結びつきが生まれる」と説かれていた。
(唐招提寺より引用)
鑑真和上の墓を尋ねさせていただいたが、
静寂と深々とした木立に囲まれ厳かな石の柵と、
凛とした空気が漂う中に鑑真和上は埋葬されていた。
日本の為にと艱難辛苦を乗り越え、
多くの薬品やさまざまな文化をもってきていただき、
何よりも、子供から年寄りの救済を修行の場へと導いていただいた鑑真和上に、
今、自分ができる限りの敬意をあらわそうと思うと、
これ以上は下げられないと思うほど自然と頭がたれた。
東日本大震災で被災された孤児の姿から、
もし、自分だったら、
両親は、帰ってくるかもしれない。
遠くへ行くと帰ってきたときに困ると思うのではないだろうか。
なるべく、近くの安全なところで、同じ被災した悲しみを分かち合うことができる人々と、
一緒にいたいのではないだろうか。
聖徳太子や、光明皇后、鑑真和上が救済したように、
一人となった年寄りや子供も一緒に過ごすことができる、
小さな環境をつくることはできないのだろうか。
孫社長の100億円寄付と引退までのSB代表報酬全額寄付は、
東日本大震災の被災した数や、大きさを知り、
戦争よりもひどいと言わせた被災者らに、
自分という敵と戦い勝利をあげた孫社長は、
更に被災した子供達への支援へもと言及され、
魂の入った心強い孫社長の寄付や国民の義援金を生かす、
役目の人々も同等の真価が問われることになる。