エーデルワイス勉強会と、てづくりケーキ歓迎会

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今月は新人2名の歓迎会を兼ねた勉強会となりいつもより早めの勉強会です。

 

多くのスタッフが参加し、狭い中にも楽しい我が家といった雰囲気で始まりました。

 

 

 

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二人は、それぞれ挨拶から現状からの目標を語り、

 

 

募金に立つことができた先輩達からの話を食い入るように真剣に聞くことができ、

 

先輩が作ったケーキやお祝いの会に感謝の言葉を返し、

 

先輩に代わり募金箱を社会福祉協議会に持参する運びとなりました。

 

 

 

 

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歓迎会と同時に日ごろの各部所における現時点で困難と思われる方の統一したケアのありかたを探りました。

 

一つの部所からの問題を解決へと全員が探ります。

 

また、側で聞くことで自分への学びへと変換であります。

 

”共に考えるライブ介護研修”となりました。

 

 

 

 

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解決へと導く手法は、多くは今までの定義を打破することであります。

 

学校教育の固まった枠の中での考え方が、

 

実社会において特に柔軟な頭を必要とする認知症介護の邪魔をします。

 

今までの介護の定義の多くは措置から始まった介護方法に知らず知らずの間に塗り固まれているからであります。

 

 

 

 

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認知症ケアを追求すると、認知症の人の声にならない内的な世界まで到達することができます。

 

内的な声は、自ら鍛錬し求める心がなければ聴くことはできない心の声であります。

 

 

 

 

 

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日常の暮らしの中でも、

 

チャンスをつかみ、善(よ)い方にも悪いほうにもいけるのが人間だといいます。

 

募金をする心、募金箱を盗む心、どちらも持ち備えているのが人間であります。

 

募金箱を盗まれないようにわざと見せる工夫、夜は金庫にしまう工夫等、

 

罪をつくらぬ工夫をすることも人を知ることにより為せる場面となります。

 

 

 

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しかし、日ごろの認知症介護という”行”をさせていただく中で、

 

どのような場面に遭遇しても決して変わることのない法(真実)に気づかせていただくことがあり、

 

深めていくと自身が変われるチャンスとなります。

 

 

 

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それは重度の認知症の方が困って「入居したい」と申し出たときに、

 

仏門と同様の位の高い修行が用意されたと思うことにより心の有りようが変わります。

 

 

 

 

 

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人として生まれ徳を積ませていただく場面となり、

 

気高く生きる修行僧のようだと心が変わります。

 

 

 

 

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今、目の前にいるその方を介護困難と追い出すことは、

 

この世で用意された修行を放棄することにもなり、

 

せっかくのチャンスを棒にふることにもなります。

 

 

 

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また、修行を放棄すると、もっと重い修行の場面が用意されることは

 

日ごろの介護をされている方々には火を見るよりも明らかであるはずです。

 

 

 

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(また、縁のあった方に恵まれました。感謝であります)

 

 

 

 

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仏告無尽意菩薩(ぶつごうむじんにぼさつ)善男子(ぜんなんし)
若有無量百千万億衆生(にゃくうむりょうひゃくせんまんのくしゅじょう)
受諸苦悩(じゅしょくのう)聞是観世音菩薩(もんぜかんぜおんぼさつ)
一心称名(いっしんしょうみょう)観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
即時観疎其音声(そくじかんごおんじょう)
皆得解脱(かいとくげだつ)

「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」より

 

 

 

 

 

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