被災地高齢者から届いた手紙
被災地の高齢者から届いた手紙、
福島の小規模のグループホームへが孤立していることを知り、
居ても立っても居られず軽トラックを飛ばし、
野菜を求めに行かせていただいた。
すぐには被災地には着かないだろうと野菜を新聞紙で包んでいると、
「手伝うかい」と入居の人々、
数日前の地震やテレビからの報道に、
「なんだか変だ・・」と、過去の記憶と数日前の記憶が入り混じり、
国の一大事を察していたようだ。
戦争中から従軍看護婦として働いたTさんには、
痛さも苦しさも、
食べる物のない辛さも人一倍理解できたようである。
「かわいそうに・・」と漏らした言葉の奥には、
戦争で犠牲になった人々や、
食べ物がなく、国民が辛い思いをした日が蘇ってきたのだろう。
鼻水をすすりながら包んだ野菜は、
被災地の高齢者の手に届き、
じーつと野菜をみつめ深い思いに入っている光景があり、
同じように戦争を耐え抜き痛さを知っている人々に、
小さな灯りがともったようだ・・
いつもは「手が痛くて書けないんだ・・」という入居の方からも
礼を伝えなくてはという思いから、
「有難う御座います。新鮮な野菜をたくさん有難う御座います。」と、
心が張り裂けそうな感謝の手紙が届いた。
遠い昔し、東北の祖先は冷害、水害で多くの人々が命を落とし、
二宮尊徳翁が復興に命を賭け大勢の人々を救済し、
やるきと勇気を人々に与えることができた。
戦争という非常時も乗り越え、
新たな平成の災害にも、
声を荒げることも無く耐え抜いた高齢者の人々、
今の時代を生き抜く私達、日本人は、
これからの日本の行く道の岐路の選択にきているようだ。
経済大国が良いのか、
悲しかった出来事があったけれど、
「日本は世界で一番住みやすい国になったんだよ・・」と、
伝えて行くことができる日本にするのか、
歴史上の人々の意を汲み、
これからの子孫の意を汲むことのできる選択が、
今の人々の肩にずっすりと重たくのしかかっているようである。
その選択肢の中には、
被災地の人々や、
被災地で多くの命を亡くした人々の、
魂の声を聞いて判断をしなければ死んでも死に切れることはなく、
何度も繰り返し悲しみは日本国民に襲ってくるだろう。
今の時代だからこそ、
過去の人々の分まで
政党という小さな枠ではなく
人として、
日本国民として、
はっきりと、それぞれの考えを伝え、
意見を交換する時代がやっと訪れたようである。