自死はやっぱり、祖母の言った通りなのか・・
小さい頃から祖母と四季折々に寺へでかけていたが、
その祖母の言葉には、
「自殺をすると、あの世へ行っても末席に座らされるんだ」と聞かされていた。
知人の連れ合いが数年前に自死で亡くなり、
懸命にその苦悩に耐え毎月毎月、馴染みの寺の他に心を許し話を聞いていただける寺へ供養にでかけていた。
その子どもさん(娘)の所へ「今は何も見えない」と暗闇の中にいることや、
びっしょりと水浸しで現れる等、
その時々の待ちかまえている地獄の難に合わせるように娘さんの夢の中へ知らせに来たという。
数年かかり「ようやく話ができるようになった」と娘さんの夢の中へ再び現れ、
「自死の苦しみがやっぱりあったのだ」と知人は話していたが、
その知人も、その苦しさから癒えたわけではなく、
苦しさの中で、日々押し寄せる目の前の難を乗り越えていく姿の中に、
供養の他に話を聞き導いていただけるお坊さんの働きは、
お布施を強要することなく真の徳の高い働きとなり、
どのような立場の中にも忘れてはいけないものがあることを知らされる。
しかしながら「まだ自分が何もできなかった事を悩んでいる」という言葉から、
「そんなに思うと自死の罪はますます重くなる。
自分はこの世のことを頑張るから、あんたは修行をして良いところへ行き、
力をつけて子ども達を守りなさいと言ってやりなさい。」
と、あまりに素直な彼女から、強気のエールを送らせていただいたが、
言葉と同時に、誰しも生涯に一度や二度は逃げ出したいと思うことがあるが、
やはり自死の罪は重かったのかと、
この世を生き抜く残された妻の後ろ姿に、思わず「がんばれ」と妻と夫の両方にエールを送らせていただいた。