それぞれの舞台
本人も忘れていた昔の場面が
ある日、突然
その”とき”を待っていたかのように
ご家族でさえ知らなかった
永い人生の一部分を凝縮した時間が
「がんばってごらん」と
舞台が用意され
体を惜しみなく駆使していた頃の自分が表出される。
(野草生けから過去の仕事が判明)
時を経ても数十年も前のことが
昨日のことのように手が動き
バランスを整え見事に完成させ辺りを驚かす。
この情報から
「脳の一部の機能がしっかり働いている」と考える自分が現れ
この力を維持する為には・・
介護現場のみでこの情報から考えていくと
認知症の○○○・・・ではないようだが初期なのだろうか。
それならばこの力を維持する為には?」と
次々に浮かぶ考えに「はっ」と我にかえる。
ここは、そうだよ
心から「素晴らしい!すごい!」だけで良いのだと打ち消す自分が表出する。
人生の中では
知らなかった方が良いこともあるが
しかし、知ったからこそ
その人を具体的に人としてみることができることもある。
世の中で知識がわずかでも増していくことは
考えることであり
悩みが深くなることでもある。
でも、やっぱり
世の中において自分以外のことで
真剣に
誰かの為にと互いが悩みながらも生きる自分等も
視点を変えると
ボランティア会長の言う「素敵な人生」の一部ではないのだろうか。