お彼岸だからこそできること

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お彼岸中に誰かに喜んでいただけることを
一つでもさせていただくと、
それが亡くなった方への回向となって追善としてお供えすることができるのだと、
祖母と出かけたお寺さんから聴いたことがあります。

 

 

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子供には、ちらかった他の人々の靴をそろえる事など、わかりやすい言葉を用いて説法を行っていたのだと

今更ながら寺が暮らしの中にあったことが浮かび上がります。

 

 

笑顔でいる人の周りは笑いが絶えず、

 

苦しい形相でいる人の周りには、不平、不満が多く
「自分だけ、何で」と怒りを自分以外の人に向けることは
大きな罪をつくり
自分へも怒りからのマイナス面を全身に受け全ては自分に戻ることなのだと、
生きている長い年月から思わされます。

 

 

 

 

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他からみると「苦しいはずだが」と思うことでも
他には見せず誰かを思い
清々しく生きている人の周りには
笑顔と安らぎがあり、
真実の価値を悟っているのだと
やっぱり居心地が良くなります。

 

 

 

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そのようなことができる人こそ、
菩薩といえる人なのでしょうね。