地域に生きる人々全てに生きる権利があること
地域には、
80代を過ぎた高齢の母と60代前後の息子さんと同居の組み合わせが多く存在します。
この反対に父親と息子の場面、母親と娘の場面など・・
認知症という病気の理解が地域に浸透せず
周りからの冷たい視線を受けたまま孤立しているケースも見られます。
「近所の世話なんかなるものか」と思い歯をくいしばる日々もあったでしょうが、
どこかで「助けてほしい」と言えずに、
「孤立してしまった場面も見過ごすことはできないのでは」と考えることもできますね。
認知症という病気が理解されず周りからの冷たい視線が刺さったままの、
認知症高齢者の当事者言葉から
「近所の世話だけはならん」と、温厚な方が顔色を変えて怒りを表す場面とであうことがあります。
名前は「痴呆症」から「認知症」と変更になっても、
「まだまだ、みんなそんなこと知らないよ」と、
留辺蘂のシンポジウムの茶話会の言葉から思い出ることができました。
留辺蘂シンポジウムアンケート一部から
・地域力の必要と結集が必要だと感じた。
・高齢者110番の家をもっと広く作るべきだと思う。
・常に向上心を持って生きていく。わが身をおしまず互いに助けあって行こうと思いました。
・これまでの事例や体験を皆で知るという試みや、市の体制に加えたプラスアルファについて、家族の話から課題をみつけるという所が印象に残りました。
・少し難しい問題ではあるが認知症の人の徘徊の状況について、もっと具体的に聞きたかった(難しい問題ではあると思うが・・・。)
・願う会や110番の家のようなものができるといいと思う。
※これからの開催にあたり大事な視点をいただきました。
今後、正式に「きたほっと」HPにおいて記載させていただきます。