辛抱は心法でした。
「常」とは、音読みで「じょう」、訓読みで「つね」と言います。
いつも変わりなく過ごそうと思うのでありますが、人が人として生きていく上で時に心が乱れるときがあります。
「常」は不変の道徳のことで、五常と使う儒教の考え方があります。人の常に守るべき五つの道徳のことです。
「仁・義・礼・智・信」
忘れてはいけない大事な教えなのですが、忘れてしまうからこそ、人は生きていく上で大なり小なり心の痛さと向き合います。
しかし、痛さは相手であると思うと何倍にも膨らみ、どんどんエスカレートしてしまいますが、目の前の痛さは、すべて自分からの発信であると受け止めると「心」が楽になり、
「常」に変わらない永久不変の心を持ち育てていくのが修行であることを朝の読書から学びました。
すると、「しんぼう・・・しんぼう」という言葉が現れてきました。
「しんぼう」は「辛抱」、
辞書では辛抱とは、仏語「心法」からか。「辛棒」とも当てて書く》つらいことや苦しいことをがまんすること。こらえ忍ぶこと。
「心法」が現れてきました。
これで、すっきり納得です。
せめて、生きている間は自分から良いものをお届けしましょう。
感謝!