めまぐるしい一日からの教え
昨日は、
晴れ、
曇り、
午後3時過ぎには雪となり、
サロマの峠時には、大きな牡丹雪が嵐のように車にたたきつけてきた。
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実家では、仏壇に真新しいお花が
ビニールに入ったまま飾られており、
持参した花も一緒に束にし茎を切りながら、
『誰の命日だったのだろう・・』と
来るときの雪が嘘のように上がった帰り道にも思い出さず、
先ほど、
やっと母の亡き父親の命日が4月1日だったと、
思い出すことができた。
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母は、頼ろうとする人等が病気となり
いやでも
日常生活では、腰を曲げながらも活動をするようになり、
午後の4時過ぎには、
炊飯ジャーからもくもくと湯気が立ち込めてきていた。
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長生きをする時代となり
母は『長生きをしすぎた。見たくはないものを見せられる』と、
それでも笑いながら過ごす母親の凄さは、
やはり『青春期も無く辛抱を貫いた大正生まれの人だ・‥』と
仏壇の花から思いいづることができたが、
この瞬間を忘れてはいけないのだ。
子の人生にも教えをいただけているのだと、
まだまだ、すごい世の中が起きる身構えが必要なのかと
間接的に母親から教えをいただけた思いだ。
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今日の空は、一変し清々しく春の訪れである。
一昨昨日、
ひょんなことから、
自分には、
多くの友人が居ることを再確認することができた。
友人等とともに、助け合いの地域の活動にも頑張らなければと、
そこに着地した。
がんばろう・・・