”徳性”と”告知”の関係性
人間に必要なものは「徳性」であると・・徳性とは
徳性とは「道徳をわきまえた正しい品性。道徳心。道義心」と辞書にありました。
この世に誕生した時には、だれもが同じ性質であると言います。
それならば、いつどのように変化するのだろうと本を読んでいくと、
人が生きていく間に得た学びと自ら求める学びであるとも、
学びは学校や子供の学習塾での学びではなく、
人が人としてこの世の中で生きていく最も大事な生き方の学びであり、
その学びは、他者の痛みを知ることから始まるのかと・・先日の家族様対応からの場面が思い浮かびました。
告知と聞くと一般的には癌と診断された本人や家族への病気時の説明に医者からの告知が頭に浮かびますが、
それは認知症と診断された家族がたどる心理的ダメージの経過と良く似ており、
食事が口から摂取できなくなってきているという密接な親子関係の中においての告知にも良く似たケースとなります。
一つの学びから、
告知者の心構えをつくり、告知された本人や家族の痛みを思うと、
相手に考えていただく“間”を与える自然の無言のコミュニケーションや、
体全身で痛みを分かち合う受容する姿勢等、そこには大事な「心」が存在していました。
受容できない辛さは、初めは呆然としていても、次第に怒りがこみ上げ、
しかしこれが現実なのだと受け止め知識を得ようとするまでには、
その方により時間がとてもかかる場合があります。
告知を伝えるプロの心模様、告知を受け取る本人と家族との関係性の中において、
それは一つではなく様々な対応場面を用意しなければならないことです。
そこには技術的な学びだけではなく、人間力という大きな力が必要になります。
悩み、辛さはその人間力を養う一歩となり、
そこに気づいたときの受容する姿勢は、相手を敬う最高の価値観をもつ告知者となり、
相手に「この人から受けて良かった」という辛さとやすらぎも同時に受け取ることが出来る告知者となるのでしょう。
まだまだ、修行が足りない私達です。