行きたくても行けない買い物理由
新鮮な気分を求めるものは1曲の音楽であったり
コンビニレジ前に、
いつもは見たことも無い多色の原色で目を引く沖縄そばであったり
たわいもない物からでも今の自分を一新させるものがある。
過去の旅行も、
目的の多くは気分を変え新鮮な何かを掴むことであり
その多くは、自分は神社仏閣が多かったが、
あるZOOM研修でグループになった方からの気分転換をお聞きすると
やはり
インターネットを駆使した
『世界旅行です』と言う言葉にスケールの大きさと若さを感じたが、
人それぞれに、
新鮮な自分を取り戻す何かがあるようだ。
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先日、認知症の会のボランティアの方と話すチャンスが短時間あったが、
いまや、
コンビニも
大型スーパーも
レジ打ち終了後は支払いに機械操作が必要となり
元気な人には簡単でも
『認知症でなくても行きたくない』という言葉をお聞きした。
自分も慣れるまでには、しんどいと思ったが
回数を重ねる事で無理にでも覚えさせられるが、
これが困難となると、
買い物もできなくなり、
過去のような、
会話をしながら購入する小さな商店街も少なくなり
いかに
病気の人にとっては生きづらいのかが良く理解できる。
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市町村の選挙などもコロナ禍でもあるが
地域で住み続けられる策を
選挙に訴える人等の意見を尊重することが自らの一票を投じる根拠ともなる人もいるだろう。
選挙は、自分等の意見を反映できるものでなければ、
自ら足を運ぶ投票とは結びつかなくなり興味も持たなくなると自分は思う。
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都会で生きること
田舎で生きること
高齢化率50%の町で生きることでは求めるものが違ってよいのだと思う。
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まずは、
暮らしを支える
買い物難民が出ないこと等、
また、
スーパー自らの対策も必要なのかと
認知症サポーター養成を終えたスーパーや、
商店街からこそ、
自ら打ち出す策も必要ではないのかと
実感する道端の話し合いとなった。