追悼 愛犬 はな
愛犬 はな が亡くなりました。
はな との出会いは、
約13年前、保健所での会議参加からコンクリートの部屋から
キャンキャンと泣き叫ぶ声が聞こえてきたのが出会いでありました。
会議終了後に、お掃除をしていた方にお聞きし
会わせていただきました。
灰色のコンクリートの中には短い鎖でつながれた
二匹の犬がいて
二匹ともこちらに目線を合わせ
老犬はジーッと静かに悟ったような面持ちで、
はなは、目線が合うと再び「キャンキャン」と叫び続けました。
「自分の決断だけで、
この二匹の命が救われるのだ!」と思い
後のことは何も考えず、
『二匹とも引き取ります!』と叫んでいました。
おそうじの方は、
我が子のように「ありがとうございます」と繰り返し、
保健所関係者の苦しい気持ちも、ここで少し触れることができました。
老犬をタロウと名付けました。
タロウは、初対面の面持ちとは違い人間嫌いになっていました。
行き交う人にほえ、
グループホーム職員にも好みがあり
感情が合う人には無言の優しさを届け
一方の人には、押し返すように吠え、
ときには足をかじる真似で驚かせておりました。
人間に邪険にされたのだと思いました。
何とか、人間は悪い人ばかりではない事を知ってもらおうと思いました。
そこで、犬小屋の前に「保健所から来ましたタロウです。可愛がってください」と、
紙を貼ると、散歩途中のみなさんが声をかけていただけるようになり
最期は職員の力も借り看取ることができました。
はなは、とても元気でしたが
食欲が亡くなり、昨年の数日の入院では医師にも怒りをぶつける形相で
「はなちゃん、怒っているんですよ」と、表情を伝えていただけました。
それから共に室内で共に暮らす生活が始まり、毎日の通院が始まりました。
一時は、年を越すのも難しいかと思いましたが、
元気になり、ひょうきんな表情や
夜間には吠えずに『トイレに連れて行って』と側に来て教え、
「はなちゃん、トイレなの」と聞くと、返事は尻尾をビュンビュンと振りました。
やがてトイレにも行くのが急に困難となり、
3月にはオムツを購入し末には使用するようになりました。
便が出て2時間おきの交換です。
何も食べないのですが便が出るのです。
これは人の看取りも同じであります。
殺菌濡れテッシュを使用していましたが、
肌が赤くなり、先生にお願いし軟膏をいただきました。
最期は、やわらかなテッシュをお湯でぬらしおさえるようにふき取りました。
栄養が行かない為、褥瘡をつくらないように体位変換も定期的に行いました。
これは、先輩タロウからの学びでありました。
はなは、目も突然見えなくなり、
その日は、首をあげ辺りを見回す光景はほんとうにかわいそうでした。
『なぜ、見えないのだろ・・』と『はな』も葛藤だったと思います。
同時に手足の脱力感も伴い首をもたげるのもやっととなりました。
せめて音楽をかけてあげようと、
自分が好みの『クラッシックメドレー』
をかけると静かに心地よく聞いておりました。
これは、自分の心の落着きでもあり『はな』に伝わる気持ちでもあったのかと思います。
多くの人が、自分勝手に生きていける時代となりましたが、
ペットの最期を見送るのは、赤ちゃんを育てるのと同じであり
自由はなく相手に合わせ、
ある意味、今の時代の自分への試練でもあり、
これを乗り越える事ができるか否かが問われ、
また、身体が自然と動くのも無償の愛でもあるのかと日々感じておりました。
はなの最期の一日は、出会ったあの日のように
あえぐように小さな声でキャンキャンと叫び続け、
出会った当時と同じ空間にいたように感じました。
最期は、大きく息を数回吸うように、これも人と同じであります。
自分の寿命もわかりませんが、再び愛犬・愛猫等と出会う事ができたなら
家族や友人と同じように再会を喜び、抱きしめ、
あるときは、心から謝罪し、
再びの出会いに感謝し、
燦燦と降り注ぐ太陽の下で
野山を駆け回り共に遊ぶことを目標に
今日一日も自分を叱咤激励し生きていこうと思います。
今日は、お昼頃、網走から移動火葬車が来てくれます。
もう、はなちゃんの姿と一緒にいるのもわずかとなりました。
はなちゃん、出あってくれてほんとうにありがとう!
また、会おうね!
ノルド動物病院の先生ご夫婦・職員の皆様、
とても親切にしていただき心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
最後までご拝読いただき感謝申し上げます。
保健所の犬猫の命が一匹でも救われますように・・・
と