2000年介護回想と2022年からの楽しみ

介護保険が導入された頃の認知症介護、

認知症介護も試行錯誤の状況は、

今でも、

学びを得ても

まだまだ、個別のケアは満足いかないものがあるが、

2000年当時も2022年の今も言える事は

認知症を患う本人が自らのやるきが要で、

 

(「これくらいできるよ!と」)

 

当時は、さまざまな機能訓練も導入され

機器も奪い合うように導入され

すごいことだと、

生活相談員(ケアマネ)は、

ケアプランとサービス担当者会議で1週間が目まぐるしく追われ

 

 

一日に何名をこなすかという

作業のように取り組む介護保険の手法の中では、

家族の話しもじっくり伺う事も出来ず

個別の面談から、

話のまとめに入るのに随分と会話よりも

失礼にならない話の区切りに集中していた当時を懐古する。

 

 

(「おっ!これは立派!」と)

 

 

そのような日々の中、

認知症の人に包丁を持っていただき

刻んだり

野菜の皮むきの時間を導入すると

 

 

それまで、家に帰りたく

一日中歩いていた人も

エレベータ―の前でお帰りになった家族を追うように

ドンドンと叩いていた人も、

 

 

 

包丁の出番は、

我を忘れるほど

集中し

単語の発語しかなかった方が、

普通の会話が成り立ち

奪い合うように競って集中していた当時の光景は

 

 

今は、能動的介護と位置付け

更には

希望する役割として集中し最後まで成し遂げる力を見せていただけている。

 

 

 

 

 

悩んだ末にたどり着くものであり

学びは無駄でもなく

理論化して位置づけられる手法はいくつもあるが、

 

しかし、

外国人が言葉は多くは伝わらなくても

ボデイランゲージから身振り手振りで

心をつかい

痛みを知り

伝えられない認知症の人と交流し

それまで笑顔が遠かった方からでも笑顔を引き出す様は

 

 

認知症の人が求めているものの

真実をまざまざと見せつけられているようにも思えてくる。

 

 

 

 

 

外交人技能実習生から学び

認知症ケアに活かすことから

今後の新たな介護の夜明けもあるのではないかと楽しみになる。