心をおこす

今朝の読書から

常念観世音について

鎌倉円覚寺管長さんの文章を拝読させていただいた。

人の生涯では読む本は限られているというが、

幼い頃から祖母に連れて行ってもらった寺の住職の話や

叔父が出家し、お坊さんであったことなどから

仏教が素直に入り、

今朝の観音様の文章もとても親しみ深い。

*

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(朝)

仏とは真実の人間性であり

自分の中に分け入って真実の人間性を開発するのが仏教だと

松原泰道先生の言葉でも説かれていた。

子供も
若者も
高齢者も
障がい者も

全ての人にその心を働かす事ができるのだろう。

しかし、自分も含め

大人=成人となった人には、

『自分の行動や言動に責任を持つ』ことができる人と

明記されていたが

陰日なた無く、

その心を働かす事は自分との戦いであり、

また、

それが、生きていく上での修行となっているのかもしれない。

*

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(昼)

慈悲の慈とは、

何かを与えたいという願いであり、

悲とは、

人の悲しみ、苦しみをみて我がことのように

何とかしてそれを救ってあげたいと願う心だとも。

~~~*~~~

*介護現場でも*

家族への経費捻出を防ぐことを考える事も

慈悲であり、

身近なところからでは、

高齢者住宅に娘さんが定期的に面会に来られ

訪問介護が、

食事支援をしている横で

じっと見守りされているならば、

お金をかけないように

いらっしゃる日がわかったら教えてください。

訪問は、入りませんよ』

尋ねることも必要であり、

身体的に問題が無ければ

ケママネさんとの調整はもちろんであるが

家族様の意見を聴かせていただき

現場から伝達するのも

大事なところだと考える。

*

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(夕、南蛮味噌は食欲増進活躍中)

介護現場においても

スーパーでも

銀行でも

どこでも、

昔のように

慈悲の心を育て

限りある命があるうちに

行動することなのだと朝の読書から良い時間をいただいた。

娘さんは『そんなことできるのですか』と

次の来所日を気持ちよく教えていただけた。

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