なぜ・どうしてと考えること、会話することで新しい発見

朝一番で、

ハーバード大学 サンデル教授の討議を途中まで録画から拝聴させていただいた。

なぜなのだろう?

どうしてそのような考えにたどり着いたのか?

そうすると、このような場面は考え方は同じなのか?と、

自分一人では堂々巡りでも

会話をすることで相手の考えの奥に潜んでいるものが見えてくる。

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先日、

第二回目の北海道・札幌市認知症指導者ネットワーク・リラネット

ZOOM会議を20時〜22時頃まで行ったが、

ここでも多様な意見があり、

話し合いの結果から相手への理解が見えてくる。

今朝、二番目にスタッフ全員に、

『口には出せないご利用者の気持ちに沿う事の大事さ 』を問いかけたが、

自分等は、認知症の人含む高齢者の代弁者(自分含む)としての

責務があるように、

最近、特に狭まっていた不自由さから強く感じてきている。

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日頃から、これで良いのか、こうであるべきではないのかと持論を持つことで、

その自分の意見をもって会話が成立し、

相手の意見から、新たな考えやひらめきが浮かんでくる。

介護現場こそ、

自分等の考えを言葉にし文章化することで

凸凹があっても、いろいろ 見えないものが見えてくる。

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北見新医師会長の着任抱負を伝書鳩から、

『認知症の方、難病の方等がその人らしく過ごす地域つくりが必要』とお話されていた。

大変、心強く、

周りの環境がどのように変化しても、

制限ある中でも、できる範囲の努力は自分等も必要と感じさせていただいた。

ありがたい。