選択できない出会い

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人生の中での出会いは自分では選択できないが良き縁となり人生に潤いをもたらすことがある。

 

昨日は、GH協議会網走ブロック理事会があり修了後には同じ理事者であるM氏の緊急入院から無事に、この世に帰還されたお祝いの会を本人に内緒で計画をしていた。

 

 

この計画に関しては、事務局のI氏の快い返事に始まり、皆が本当に元気になって良かったというM氏の日頃の存在を認め、この会において大事なエッセンスを醸し出していることを承知している。

    

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縁とは結果を生じる直接的な原因に対して間接的な原因。原因を助成させる条件や事情とある。(仏語より)

 

確かに、その人との出会い、会としての出会い、もっと大きく組織として国としてと、なったなら物事にかかわる間接的な原因となる”人同士”の働きは大きく影響力を持つ。

 

 

特に人にかかわる重要な位置にいるリーダー・経営者・組織のトップと考えるといかに重要な位置にいるのか、気を引き締めなければいけない。

 

 

トップの考えは、知らず知らずのうちにスタッフに染まり教員が「子供をみると家庭がわかる」と、言うようにスタッフの日々の姿がトップの姿である。

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認知症の勉強は、どんどん進んでいるように錯覚しているが、基礎から外れた研修は上滑りとなり経費をかけてもぼろぼろと落ちこぼれてしまう。

 

利用者が望む認知症対応とは、いかに食事を美味しく食べさせてもらえるのか、いかに気持ちよく夜が熟睡できるのか、いつも変わらぬスタッフの温かい笑顔で安心して過ごす場面をいただいているのか、もう一度原点に戻り基本を何度も何度も見直すことが重要!

 

 

縁・・・・・本当にそこに入って良かったのか。
私達のかかわる意味合いは大きく、利用者の人生の質を良質のものにしなければいけない。

 

善根を積み重ねる事は仏となり魂が成仏するのか・・・
悪を積むことは、地獄となるのか・・
徳を積むはずの縁が悪縁を積むことのないように肝に銘じよう・・

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