一心に生きる、一念に生きる。
坂村真民先生の言葉に『念に生きる』とあるが、
これは念仏の念ではなく『思念』という『念(おもう』をより強くしたものであり、
「一心に生きる、一念に生きる」という意味だと「一道を行く」の文中で述べられている。
人生の中において
その年代の悩み苦しみは若者にも年長者にも誰しも伴うものであるが、
しかしながら、
多くの高齢者の体の不都合を伴いながらの心の痛みや寂しさは、
その年齢に達しなければ理解できないことが多いと思うのは
自分がその年齢に近づいているからなのだろう。
この世に自分という自分は、二人とは存在しないのも事実であり、
「良く頑張ったなー」と
時には自分の全てを知る自分を褒め称えるのも大事なことなのかと、
「特別、何もしていないよー」とせっせと家族の為に人生を費やし、
天から命じられるままに、
家族を守り務めを果たし先に逝ってしまった友人から
「青ちゃん無理するんでないよー」と
懐かしい声で
やっぱり笑顔で今も直、何気なく家族を守り抜いている友人が教えてくれる。
しかし、平均寿命から差し引いた数を数えると、
ゆっくりしている暇は無い。
せっかく年を重ねたからこその心の特質を活かさなければ、
“もったいない、もったいない”と
後ろを見ずに
今日からすべて、
初めて出合った人のように笑顔で交わし前へ進もうと念じる心が湧いてくる。