目標と凛とした生き方と支援の在り方
ご家族の優しさから、
風邪をひかぬようにと体をいたわりすぎると
足腰がみるみる衰え
それまで独歩だった方が二人介助で送迎バスから降りてくる。
同じように
バリバリの働き手でも
休息がたっぷりとれた期間の心持の在り方により
その後の進む方向に明暗をわけるのかと思えてくる。
自分に置き換えても充電期間と暇な期間は別であり、
休みが取れなくても
充実した時間は疲労感は少なく
返って次の行動がより体を軽く行動に移すことができる。
何も目的のないダラダラとした日々の使い方により
頭の冴えも
笑顔であっても
どこかに自分を引き締める凛とした核となるものを見失っているように思う場面がある。
そう考えると、
ご利用者も、休み、休みと結果的に長期になってしまった結果であるが、
適度な期間からのアドバイスが不足していたか・?と
反省と無念さが残る。
その人の人生の一部を請け負う自分等にとって
例え、大事をとった休みであっても
その状態にあった最低限度の機能を維持する支援も
大事な役目であると
今更ながら気づいた愚かな自分である。
恥ずかしながら「組織はトップ以上の伸びは無い」という格言があるが
まさにそのとおりである。
目標の無い生き方も
急速な機能低下のご利用者も
どちらもほっておくと日増しに意欲がなくなるのは目に見えてくるのだから。