年の瀬回想
『銀色の道』のメロディーが流れていたが
同時に活気のあった幼い頃の賑わいも同時に蘇ってきた。
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商売を営んでいた実家は、
12月は最も多忙な時期であり、
また、店に出る事が好きな自分は、
小学1年生の頃から店に出て
父親が開発したストーブの部品を売ったり、
町の人々は煙突もきれいに掃除をしたとみえて、
当時は気がつかなかったが、
曲がりや煙突を購入する人がとても多かった。
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暮れの20日を過ぎる頃には、
そりにタオルを積み込み
1件づつ
『来年も宜しくお願いします』と
配達と請求書を渡して歩いたのが小学生の4~5年頃だ。
なるほど、
何も考えずに訪問していたが、
信用があたりまえの時代であり忘れていた支払いを
思い起こす場面でもあったのだ。
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自分は、支払いの意味も深くは知らず、
ただ、とても楽しく、
12月は、
店から通りに面した台にストーブや、
ジンギスカン鍋を並べ
値段や大売出しと書いたものを貼り出したり、
自分の力で役に立つ事が喜びとなっていた。
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また、商工会の会員は必ず当番の日は担当する事から
母親は帳簿で忙しく
自分がくじの引き場所に出ていった記憶がある。
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親は『勉強をしなさい』と言う事は、
まったく皆無であったのが幸せであり、
そのような時間をもつことができたのだろう。
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今、考えてみると
よほど、
頭がよければ別だが
人並みか、それ以下でも
生きていく上では全く関係なく、
人との交流の方が最も大事である。
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社会交流や
スポーツなど先輩・後輩の中から育つものも
一生を通じて必要であり、
蕎麦屋のアルバイトから
店主の話が良き刺激となり将来の方向性を見出したり
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目的をもって勉強した大学へ入り、
生活の為にと働いたスーパーのレジでは、
厳しいおばさんへの対応経験が、
学びとなり、
教育者になっても
PTAの対応をスマートにこなす等、
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お金を稼ぐ事の意味を知ることは、
一芸に通じることにもなり
つまり
生き方を身につける人間力がいかに人には大事なのかが見えてくる。