吉田松陰と長州ファイブ

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幕府はアメリカのペリーに屈する形で日米和親条約を結びました。

 

「日本は、このまま植民地になるのではないか、

 

何とか、アメリカと対等な立場で開国の交渉をし直そう。

 

 

 

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「その為には、自ら海軍術や国防の基礎などを学ぶ必要がある」と考えた松陰は自ら米艦に乗り込もうと計画しましたが失敗に終わりました。

 

 

 

ただ、外国へ行きたかったのではありません。日本の国を守るためだったのです。

 

 

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しかし、松下村塾の門下生が松陰の意志を継ぎ

 

 

「もう二度と日本の地を踏めないかも知れない。しかし、いま行かねばこの国の将来はない」と密航計画を実行に移しました。

 

 

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「長州ファイブ 」

井上 聞多(のちの井上馨28才)

遠藤謹介(27才)

山尾 庸三(26才)

伊藤俊輔(のちの伊藤博文22才)

野村弥吉(のちの井上 勝20才)

 

この5名の若者は、それぞれが異なる視点を持ち備え、今の近代国家に大きく影響力を与えた人達となりました。

 

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吾(わ)れ心は小(しょう)ならんことを欲(ほっ)し、

  胆(きも)は大(だい)ならんことを欲(ほっ)すの語を愛す。

 

「私は心は細心であることを望み、肝っ玉は大胆であることを望むという言葉が好きである。」

吉田松陰先生名辞 ー素読用ー