つなぐ
もうすぐ秋の彼岸がくる。
見えないものを尊く扱う心、
幼い頃から腰ぎんちゃくのように纏わりつき面倒をみていただいた祖母。
写真で見たことのある人達、
東京にて戦争中の逃げまとうなかで亡くなったと語り継がれた人、
苦労して一代を築き上げた父、
家業を継いだ兄、
また、3代前には
地域の人々に慕われ
お不動様のお社をつくりそこに地域の人等が集い、
地域の子供等の名前を付けたという曾祖母・・・と、
多くのご先祖様がいたのだ。
しかし、このご縁は筋書き通りにはいかず、
曲がりなりにも自分の番へバトンが突然引き渡され、
これまで触れようともしなかった自分に、
見えていなかったいくつかの難題が訪れ
悩む日々であったが
人は、悩みの中から何かしらの解決策を必死になると考えつくものだと振り返ることができる。
自分の年齢も考え、
残される人等の負担も考え、
また、ご先祖様の行く末を考え
子や孫等の子孫には
手ぶらで手を合わせることができる環境を
今後まず30年間、住職と相談することができ、
つい先日、心良く引き受けてくださった。
自分の番で今後も10年、20年と足していきたいとも考える。
・
代を引き継ぐことは既定の通りには行かず、
その時代に合わせた手法を相談することも必要である。
信仰するものは変わらずとも
変えてくのは檀家であり、今後も多くの変容が伴っていくと考える。
その時代の人が精一杯生き
次の世代に負担がかからないような方法を編み出すことで
互いの思いやりのなかからご先祖様も微笑んでくれることだろう。
目には見えないものこそ大事にしなければならないと
今の時代だからこそ思えてくる。