元気なうちから人生の選択による対応力を高めよう。
心に刻んでおくこと
ここでは、男性も女性も区別はしないが
女性が長生きをするので視点は女性としてみてみよう。
家庭の主婦として
また、一家の大黒柱として
家を守り
家族を守ってきた人等にとっては、
最期まで、ここで暮らすのだと自身に言い聞かせ
家族への無償の働きをされた人等にとっては、
家への執着は想像に絶するものがあり、
施設等への利用は、
一度の納得では理解されず、
考えるにも至らないことなのだろう。
今を生きる現役世代や、
まだ、判断がつく元気なうちに、
自宅と施設等
段階をおきながら、
行き来する場面を想像し
あらゆる介護施設や自宅での暮らしを脳裏に刻み込んでおくことも必要だと考える。
自分がこうしたいと思うことを文章にまとめ、
最終の場における希望をカードに書いておくことも、
自分自身への納得となり、
家族間においては当事者が物言わぬ人となっても、
いざ、というときの判断材料にもなる。
元気な時に描いた感情は、
認知症になっても遅くまで残る。
自分の事として改めて考えてみると
知らない駅に急に下されたときには、
どこへ行って良いかもわからず不安となり、
そこへ、
知らない人が住む場所へ案内され
日中は、みんなとの会話や気がまぎれることがあっても
夜間は、
不安が不安を呼び、
外へ気軽に出たいと思っても
夜の戸締りから
昼夜が判断つかなくなった人には閉じ込めれたという感情が強まり、
とんでもない所へ来てしまったと興奮状態になり、
やがては、
混乱から精神状態も変化があって当然だ。
立場を変えてみると、
みえなかったものが見えてくる。
物事の判断がつくうちに
自分の性格も知り、
残りの人生の出来事に、
いろいろな判断映像を描き
心に刻み、対応力を高めることも必要なのだとも思う。
昨夜のDLBSN事例研究会では、
医師も、薬剤師も、看護も、介護も、家族も、誰一人として悩まない人はおらず、
一人の人を中心に、
これでよかったのか、
もっとすることがあったのではないか?と
互いに悩んでいる現場が見え、
心強さや、
家族も入ったチームでの働きの大事さも改めて学ばせていただいた。