命は巡る
老人は、人生の最期のころになると
一人では何もできなくなり
物を持っても落としたり
汚そうとはしなくても汚れてしまったりと、
しかし、
子どもの頃には、茶碗を落としても
お手伝いをしようと、かえって周りを汚すことになっても
周りの人は
微笑んで大きな気持ちで応援している。
年を重ねるということは
すべてのスピードが遅くなり
お金を支払うときも
道に迷うときも
電車に乗るときも
努力をしているとは思われず冷たい目線を浴びている。
痛さを知った人等が怒るのは、
多くの冷たい視線や年齢から活動に制限がかかる世の中が
まだ、まだ、多く
元気な人等に焦点を合わせた世の中で、
痛さを多く背負った人等だからこそ大きな声で叫ぶのだ!と。
高齢者が多い社会になっても
人生100年と言われても
世の中のスタイルは、現実とは統合はされておらずニアミス状態である。
冒頭の話は、日野原先生が看護師に
「あなた自身もお世話をしているけど、
いつか必ずあなたもお世話をされる日が来るということを知っておきなさい」と、伝えた言葉である。
(これから咲こうとする ひまわり)
また、
悲しみの中にいる人のそばに立ち、その気持ちを共有することによって
それを学ぶことができるとも。
年を重ねて初めて理解できること、
障がい者になって初めて理解できること、
病気になって初めて理解できること、
人のお世話になることで初めて理解できること、
痛さを知った人等が多い世の中になったのだから
希望を持ち大きな声を出し変えていこう。
すべてが循環していく今の若者の為にも。