二宮金次郎(尊徳)と「大学」6.
小田原領内の足柄上群栢山村で生まれた二宮金次郎(尊徳)は、
数え年5歳の時、酒匂川の堤防が決壊し、ここから金治郎の苦難の生涯が始まることになりました。
病気で働けなくなった父親の代わりに堤防工事に出かけ、
近くの家では子守や手伝いなどをして家計を助け、
山へ芝刈りに行く道すがら本を懐に入れ読んでいたという「大学」は金治郎の人生の道標となりました。
大甲(たいこう)に(い)わく、諟(こ)の天(てん)の明命(めいめい)を顧(かえり)みると。
帝典(ていてん)に曰(い)わく、克(よ)く峻徳(しゅんとく)を明らかにすと。
皆(みな)、自(みずか)ら明らかにするなり。
・ 帝典(書経の一篇)に「克く峻(大)徳を明らかにする」とあるのは明徳を明らかにする」を言ったものである。
・ 昔のこれらの聖天子は、皆自ら努めて明徳を明らかにしたのである。
引用 「大学」を素読する