実家
実家のある町は、何も変わりなくたたずんでいるのに、
馴染みのあった人々がいつしか少なくなっている。
老いた母は、2件隣の馴染みのおばさんの最後を事細かく伝えてくる。
「病気をすると、人は寄って来なくなる。元気な時は人が集まり元気な声が飛び交っていたのに」と、
数件隣のおばさんの最後の場面を今でも口にする。
おばさんが水がほしいと母に懇願し数杯の水を一気にのみあげ翌々日に亡くなったという。
母は、その後体調を崩したが、
おばさんの「私は人とは、けんかをしたことがないのに・・」と最後に訴えた言葉の続きは
「誰も来なくなった。淋しい」と言いたかったのではないのかと母なりに回想している。
独居の生活を最後まで生き抜くためには、
訪問して言葉をかける人、電話をかける友人、
プロの身の回りを世話をする人、
往診医と看護師さん、
遠方の家族からの電話など、
一人の人の最後をネットワークで結ぶことが必要であり、友人の負担を軽くする事が訪問につながる事になるようにも思われる。
数知れない別れを経験し床に伏している本人にとって、
何より求めているのは唯一の友人とのふれあいであり精神的な心の満足が一番であるように思われた。
人生の最後を思い残すことなく、ゆったりとした心持ちで天に帰ることができる仕組みつくりが大事なのだろう。
都市部では町内会の離脱が多い状況であるが、過疎化した町ならではの人とのつながり仕組みつくりが求められ、
少し元気な高齢者や、まだ子どもが小さく働きには行けない希望する若いご婦人など核となる人々を養成し、
在宅の、その人を中心に連携できるお金のかけない仕組みつくりがあればよいのかと、母の言葉から思い起こすことができた。