中江藤樹DVD北見市内から網走、訓子府へと

中江藤樹DVD北見市内から網走へと渡り歩いています。

手元に届いた方からメールで送られてきましたのでご紹介をさせていただきます。

 

 

 

日本における陽明学の祖・中江藤樹の生誕四百年を記念して作られた映画、「与右衛門」の故郷・高島市が企画・制作。

 

 

伊予・大洲藩で郡奉行をしていた若き藤樹先生が孝養の発心から脱藩、故郷の小川村で私塾を開きという流れで、祖父の養子に入り侍になった経緯も描かれ、著名な逸話もストーリーに組み込まれている。

 

 

 

復元されたばかりの大洲城を使い、肘川をリリカルに用いた絵も良い。そして小川村の描写に使われた本物の生誕地がことのほか美しく、異郷からふるさとを恋うた聖人の思いが見る者の胸を打つ。

 

 

ロケ地

a.. 伊予・大洲城下、不作に窮した農民が一揆の構えのくだり、鎮圧に向かう役人が馬を飛ばす土手は安曇川堤か。「一揆衆」の前に立ちはだかるのは大国主神社参道、父を庇う子まで蹴散らすところへ郡奉行の中江与右衛門が介入。在所の騒ぎを見た目付が城へ注進の段で大洲城も映る。

 

 

 

a.. 年貢減免を上申した中江与右衛門に師事すべく城門で待ち構える若者たち、大洲城城門。
b.. 了佐の子犬を追いかけ千鶴と出会う肘川河川敷、本物の河原に茶店あしらい。了佐が千鶴に与右衛門の経歴を語るのも同所。

 

 

a.. 了佐の話で導入の与右衛門の故郷・高島郡小川村、琵琶湖西岸高所から湖を望む図、画面左手遠景に鴨川と安曇川の河口州が重なって見える。

 

 

 

a.. 幼い与右衛門を養子に貰い受けに来る祖父のくだり、従者と共に来て田畔にいる与右衛門に声をかけるシーンは安曇川町横江の水路(家を出てゆく息子を見送る母のシーンも同所)。父母と暮らす家は藤樹神社境内にセット造営(現在は撤去済みで更地)。

 

 

a.. 君臣の隔たり弁えるべしと説く林派の学者に食ってかかる与右衛門のくだり、大洲城のイメージ挿入。
b.. 千鶴に妹の縁談を話す与右衛門、肘川河川敷。ここで母が一人になってしまうという話が出る。

 

 

a.. 願い出て一時帰郷の与右衛門、琵琶湖をゆく船上のシーンが前後に挿まれ、「実家」は前述の民家セット。父の墓は湖岸、ここで回想の幼い与右衛門に不戦を説いた父は下古賀の農地(背景に饗庭の山)。帰路の船上で病を発した与右衛門、大洲の家に飛んでくる千鶴は大洲至徳院。千鶴と別れ、および弟子らと別れの芋煮の肘川河原は現地ロケ。千鶴の嫁入り行列を遠目に見て別れを告げるシーンは安曇川堤か。

 

 

a.. 脱藩して帰郷のくだり、琵琶湖を眼下に望む丘は高島市内の丘から。横江の水路脇を通り、藤樹神社内「実家」セットへ。妹の婚家は上小川民家(詳細不明)。
b.. 大洲藩留守居役宅へ出頭し処分を待つくだり、京イメージに東寺南濠と南大門越し五重塔。

 

 

 

a.. 小川村、川を渡りあぐねる母子を助けるくだり、安曇川河川敷。以降、架橋のシーンが撮られる。
b.. たつきの道を求めて酒を仕入れる酒屋、新旭町の上原酒造。入口付近のほか、水場も映る。
c.. 家の前の水路に放たれた鯉の逸話、藤樹神社内の水路(実家セット造営時)。熊沢蕃山弟子入りのシーンもここで。

 

 

 

 

a.. 正直馬子の逸話、又左衛門が飛脚の忘れ物を届けに馬を飛ばす道は安曇川堤。
b.. 覚えのわるい了佐を構う与右衛門に反発する門人のくだり、病をおして姿を消した了佐を捜しに出て追い剥ぎに遭う竹林、不明。

a.. 与右衛門

 

の死後200年、大塩平八郎が展墓のくだり、稲刈り中の百姓に墓への道を尋ねるシーンは下古賀の農地。案内される墓所は本物の玉林寺、本来の入口ではなく境内から出てくるかたちで撮ってある。

 

 

★参考 「時代劇ロケ地探訪 高島の里」