道民として開拓者と馬への感謝
昨日の小檜山 博氏のエッセイから、
北海道の開拓には欠かすことができなかった馬への想いが眠りにつくまでの間、
頭の中で走馬灯のようにくるくる回り続けていました。
10歳ぐらいの頃、実家の2階の屋根裏にあった茶色の大型の皮かばんの中には、
昔の写真や手紙、はがきが山のように大事に詰まっていました。
おじいさんの写真は山高帽にステッキをもち、
温泉旅館の前辺りと思わせる光景は、
日本版、チャップリンのようでありました。
長唄を芸者さんへ教えていたというのですから、声は良かったのでしょう。
また、明るく遊んでいた方なのかと1枚の写真と苦労をした祖母の話から、
幼いながらに映像が組み立てられたようであり、
そのかばんの中にも馬と一緒の写真がたくさんあったように記憶しています。
小檜山氏のエッセイでは、馬の誕生から兄弟のように可愛がった馬との触れ合い、
高校へ入学するためにその馬を売り払わなければならなかった現実、
しかし20キロも離れた生まれた場所へ、いくつもの山を越え夢中で帰ってきたその馬を、
母親が気も狂わんばかりに泣いて夫へ帰さないでくれと頼むが、
どうすることもできず買主のもとへ連れ帰った話から、
北海道の開拓を支えた馬への感謝と、
認知症の老人が薄暗くなると”馬の世話をしなければならない”と徘徊して困ると相談に来たケース、
いくつもの想いが交錯し当事の農民の暮らしの上に現在が成り立っていることや、
風土を知らずしてアドバイスはできないと列車のエッセイから深い想いが再度襲ってきました。