ささやかなお祝い
友人の六十才のお祝いを、ささやかながらさせていただいた。
自分の周りには、すごい女性ばかりが存在している。
六十才のお祝いにと、ある大学の教授をされていた女性は、
大学の教授を辞め、
また、新たな別の大学院で学ぼうとチャレンジしている人。
一方、六十才になったのだからと、ピアノの教授をきっぱりと辞め、
趣味を生かした仕事にいそしみ、
ビジネスは遠いのではと思うほど客の為にと、
奉仕をし、自宅で介護している友人がいる。
また、一方で「私は何もできない。すごい。すごいみんなすごい」と言いながら、
自営の帳簿を手伝い、
料理を家族の為にと、かいがいしく働く姿は、
一番、理想であることにうらやましくさえ思わされる。
つまりは、自分以外のものはうらやましく思えるのが人なのだろう・・
自分も友人の後を追うように数年で還暦を迎える。
母に会うときには、あまり変わり映えはしないが年齢を感じさせないようにと、
派手めな洋服を着てせいいっぱい、おしゃれをして行くように心がけている。
子の姿から自分も年を取ったのだと思わせないためであり、いつまでも元気でいてほしいと思う気持ちが働くからである。
六十才を楽しみに、六十才を素敵に生きれるよう今から心構えをしておこう。
せっかく、苦しいことも、嬉しいことも味わってきた人生なのだから、
六十才から始まる人生が今一度、描けるように・・
六十にして耳順う
(ろくじゅうにしてみみしたがう)
《「論語」為政から》60歳で他人の意見に反発を感じず、素直に耳を傾けられるようになる。