吉田松陰、惨(さん)は心死(しんし)より惨なるはなし
今や日本中の多くの人々が、
被災地の方々へと労わる気持ちで募金をさせていただき、
見えない心の貯金(徳積み)をさせていただいたが、
人には、善と悪が背中合わせだと思われる。
修行を積まれ、そのような人間くささを超越した人には敬意を称するが、
修行中の身には自分を含め、
目の前の現象に左右され、
常に”心を正しく生きる測定器”を持ち備えなければ、
心は、水のように流れていきやすく、
動じない自分との対決が修行と悟らせていただく。
TVから放映される福島の住民らの、
あの悲痛な面持ちと対面する毎に、
今も直、
決断の弱い人達に翻弄されている福島の人々の苦しさ悲しさに
心が痛み、
原子炉反対は常識中の常識であることを感じとることができる。
心、元気に生きることは、あらゆる欲との戦いであり、
日毎に悪いものまでが、心の持ちようで霞んで見えなくならぬように、
いつも、心の視点を定めておくことが大事と痛感する。
日本には、たくさんの課題が山積みとなっているが、
何に優先順位をつけるのか。
国民の真の幸せを願い日本丸の船長であるならば、
船長が船長でいる時期に、
一日も、一秒でも早く、
復興対策と同時に新エネルギー対策の方向性を導き出し、
「安全なエネルギーに転換することを決意した。
国民にも協力をお願いしたい」と大きな声で叫んでいただきたい。
★推進している人の家族全員が
放射能で死亡したらどう思うのだろう。
★推進している人が育ったふるさとが、
放射能で壊滅し、誰も近寄れなくなったらどう思うのだろう。
★日本全土が放射能で汚染され、
今のように世界中の人々が
誰も近寄らなくなることが、
当たり前になったらどう思うのだろう。
★いまだに悪戦苦闘している原子炉なのに・・・
★やっぱり、原子炉は推進してきて良かったと思うのだろうか・・?
古語に曰く、「惨(さん)は心死(しんし)より惨なるはなし」と。
蓋(けだ)し身死(みし)して而(しか)も心死せざる者は古(こ)聖賢(せいけん)
の徒、不朽(ふきゅう)の人なり。
身死せずして而(しか)も心死せる者は今の鄙夫(ひふ)の流、行屍(こうし)の人なり。
古人が、「心が死ぬということより悲惨なことは無い」といっている。
ただし、身体が死滅しても、その精神が死んでいない者は、昔の聖人や賢者らであり、
これらは永遠に朽ちることのない人である。
身体は死滅していないが、精神が死んでいるのは、
今のくだらない人間の類であり、無能で役に立たない人間である。
吉田松陰一日一言