身近で起きていた悲しい出来事を今頃知る
命
5月の20日
発見されずに4~5日経過していたという
息子さんと母親の死
母親はベッドで窒息死 息子さんは 風呂場で 自殺
やっと昨日の新聞記事で知る
あまり報道にはならず
あまり口にしたがらない話は
すぐ 身近に起きていることであっても
痛さも 悲しさも 感じることなく 通りすぎてしまう
精神のグループホームへ昨年まで入居していたという息子さん
入居中は頻繁に母親の元へと 通っていたという息子さん
母親は 肺がんの末期であり 苦しみと戦いながら
息子さんの将来を案じていたのではないだろうか
親は いつまでも 親であり
80代の夫を亡くした娘さんのところへ 心配だからと100才のお母さんが
案じながら泊まりに行く光景を TVから数年前に見た事を 思い出すが
障害を患いながら一人残して生きていく息子さんの存在は
闘病以上に辛いものだったのではないかと 突き刺さる
一人ひとりの 生き方がよくなり
誰にも干渉されない生き方が良くなったのだけれど
本当に辛いときには 誰かの大丈夫だよ という言葉や
一緒に考えようという 誰かの手の温もりで 安らぐことがある
人と人との支えあい
地域の人との交流が皆無になった今、
認知症高齢者の 背後にも たくさんの 悲しみ 苦しみと戦いながらも
母親の役を 全うしようとしている人々がいる
制度に阻まれること無く 広い目線で 大きな関わりをもち
互いが住みやすい地域を 自らの足元からつくることが急務であることを知る
合掌