認知症サポーター1割の町 と 行動できる働き

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認知症の人を支える町 宮城県南三陸町
産経新聞 6月14日(火)7時56分配信

 

 

 

◆想定の範囲

 「名前も住所も分からないけれど、そちらから搬送された人では?」

 震災後の混乱の中、宮城県南三陸町・地域包括支援センターの保健師、高橋晶子さんに、こんな連絡が来た。迎えに行くと、お年寄りが志津川高校の柔道着やゼッケンをつけて座っていた。

 

特別養護老人ホーム「慈恵園」の入所者だった。志津川高校は町の高台にある。高校生は「慈恵園」脇の「ふれあいロード」を上って登校する。高校生が高齢者と自然に触れ合うようにと作られた道だ。

 

 

 3月11日、高校生らは津波の迫る中を高齢者の救出に向かった。スタッフと一緒に高齢者を運び、ずぶぬれの服を脱がせてカーテンで体を拭き、着替えさせたという。柔道着はそのときのものだ。

 “町の力”が発揮されたのは震災時だけではない。避難所では認知症の人が支える側にも回った。

 

 

 

 

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 ある夜、避難所で障害のある人が大騒ぎをした。声をかけたのは、避難していた隣家の認知症の人だ。「あなたがいて安心だわ。だってお隣さんだものねー」。2人は「大丈夫だよ。一緒に寝ようね」などと言い合い、結局、保健師の高橋さんと3人で肌を寄せ合って眠った。

 

 

 高橋さんはこの間を振り返り、「多くのマスコミから『認知症の人が避難所生活に対応できず、大変でしょう?』と聞かれました。でも、うちでは本当に想定の範囲でした」と言う。

 

 

 

 

 

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◆1割がサポーター

 

 

 

 背景には、南三陸町が2年前から「認知症でも笑顔で暮らせる町づくり」を進めてきたことがある。「認知症になったら施設に入れる」のではなく、地域で支えようと「認知症サポーター養成講座」を行ってきた。

 

 講師でもあった民生委員らは震災当日、地域で認知症の高齢者らに避難を呼びかけた。避難所でも認知症の人に目を配り、トイレなどに誘導。夜間は保健師らが代わって目配りした。高橋さんは「それぞれが自然にサポートした。可能だったのは、民生委員さんが誰が認知症かを把握し、対応の仕方も心得ていたからです」と話す。

 

 

 

 

 

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 サポーター講座は町立歌津中学や志津川高校でも開かれた。「一人一人、自分のできることを考えよう」が合言葉。生徒も旗振り役になり、震災前には町長も含めて約1800人が認知症サポーター。町の人口は約1万7600人(2月末時点)。人口の1割が認知症の人への対応を理解していたことになる。

 

 

 

 

 志津川高校手芸部の佐藤史穂さん(18)もその一人。津波で家を流され、今は避難所のホテルで暮らす。祖父は被災後、認知症が進んだが、佐藤さんは自然体だ。「認知症は周りの人が受け止めてあげられる。なるべくおじいちゃんの話を聞き、今、何がしたいんだろうって考えるようにしています」

 

 

 

 

 

 

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 理解してくれる人が多ければ、認知症の人は穏やかに暮らせる。高橋さんは「津波で何もかも流されて、人しか残っていない。けれど、人は残っている。目に見えないから伝えにくいけれど、人のつながりは大切だと改めて感じた」と話している。(佐藤好美)

 

 

 

 

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 ■試される周囲の力

 

 認知症介護研究・研修東京センター 永田久美子副部長の話「南三陸町では以前から認知症の人を見守り、声をかける関係をつくってきた。高校生が非常時に体が動いたのは、普段からそこに認知症の人がいることを理解していたから。

 

 

 

 

そういうことが町のあちこちであったはずだ。認知症の人には避難に伴う移動もストレスだが、移動が避けられないこともある。そのときに家族だけでなく、周囲の力が試される。いざというときに瞬発力として発揮されるのは大がかりな仕組みではない。顔見知りの体制をどう築くかだ。

 

 

 

 

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