NHKジャーナルと老いる喜びへと
明日8月1日(月)
夜10時ラジオ NHKジャーナル
捜索模擬訓練の内容が 全国放送へ
行方不明者役の小百合さんの言葉も
全国に流れることになるのか
けっして せりふではなく 実際の場面でも起こりえる言葉である
捜索する 発見するのはこちら側の思いであり
行方不明者となっている小百合さんの心の中には
目的をもった理由がある
昨日職員と共に札幌で学ばせていただいた学びの中でも
老いの 本人からの言葉は少なく
世の中にある老いに対する言葉は
一方的な見方からの言葉が多い
一つの学びから 多くのものが浮かんでくる
学校の点数と 同じように 正解 不正解で判断される
できて当たり前の 世の中の目線で語られているのだ
しかし その学校においても
学力一番の人には無い ユーモアさだとか
惜しまない相手を思いやる心をもち
不登校の子の家にあきらめることなく訪れ
気持ちを寄り添える子もいるが
担任の価値観により 取り立てられる場面は少ない
できなくなることは価値が下がることと
現実の対価ばかりが求められる世の中となり
年長者の おばあさんがそこにいるだけで 孫等は安心し
何だかほっとする 空間をいただけた時代が日本にもあった
そのような心の空間には ゆったりとした間があり
非言語的コミュニケーションがふるに働き出し
心のやすらぎがある
生きていくプロセスの中で
老いることへの体の変化や 退職という年齢など
マイナス要因ばかりがあげられていくが
これが ゆったりと暮らす空間への訪れ
元気な視線では移り行く字も景色も 瞬時にとらえると同時に
目に入りすぎ 止まることなく流れてしまう
しかし老いる喜びとは
見たいものに集中し 一点から何かを感じる心は
年齢を重ねるごとに感性は豊かに大きくうごめいていく
これは若者には少なく
認知症になっても研ぎ澄まされた感性は気高く残るのである
老いるという言葉ばかりではなく
長老 と老いても 敬う言葉も存在する
これからは老いる側から どんどん意見を伝えていこう
殺伐とした 間の無い 空間に 潤いをもたらす時代がやっとやってきたのである。
(終了後小樽へ)
NHKジャーナル
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