介護現場は人生最後の仮住まいから本住まいへと
人生最後の仮住まい
されど本住まいよりも暮らしやすい生活を求め真の本住まいへと
朝から晩まで、すべて良い条件が揃わなくても
一日一回だけでも
ああ、なんと気兼ねがないのだろうと思う瞬間の暮らしはあたたかい
言いたいことを言い、ときにはスタッフを叱り
心のどこかでは「家族だったらこのようには言えんなー」と感謝する気持ちが伝わり
また、
誰に邪魔されること無く
子供の頃のように眼下の野菜畑を見ながら桃にかじりつき
お腹も心も満たされ、いつになくゆっくりと昼寝をし
ご家族も最後の場と求める環境を「安心」と目標設定すると
そこに居させていただくパートナー達も
忙しい中にも時間はゆったりと流れる
グループホームならではの環境であるが
虐待(?)と数字があがる現実がある
「残された人生の一日が自分の手の中にあるのだ」と思う心の持ち方と
認知症という病気を学ばずしての介護の提供は
苦痛だけが残り認知症の悪化と介護者は健康を崩してしまうだろう
学びは一日の苦痛を「何でなのだろう」と大きく視点の矛先を変え
常にその人の心の中の苦しみや喜びを感じようとする働きは
分析となり
考える介護から心の働きが変わり、
その人に注目をする時間が増し原因が見えてくる
それは、自分の過去も忘れる認知症の人が「そうだそうだ!自分はこれをやっていた」と やっと記憶が結びついたときと同じ満たされた感情と同じのようだ。
仮住まいの暮らしの中に、これほど真剣に自分のことを考えてくれる人がいたら
そこにはどのように認知症が進行した方でも居心地は悪くはないはずである。