障害福祉や生活保護にあてはまらない人たちを支える手だてが必要

取材ノートから

[京都新聞 2011年10月12日掲載]
福祉制度の「壁」なくせ 担当超えた支援試みも

 今年5月中旬、大津市のアパートで80代の父と50代の三男が遺体で見つかった。死亡推定時期は4月上旬ごろで、死因は父が病死、三男はひもで首をつっていた。

父子はこのアパートで亡くなっていた。遺体は1カ月以上も発見されなかった。

 なぜ2人は人知れず亡くなり、1カ月以上も発見されなかったのか。遺体発見の短い記事を出稿した後も、そんな思いが消えず、父子周辺の取材を続けた。そこから浮かび上がってきたのは、困っているが、「支援」を受けにくい人たちの存在だ。

 「こんなことになるなんて…」。亡くなった親子を担当していた民生委員の女性はひざに手をついて悔しさをにじませた。女性は認知症の父を三男が1人で介護していることを知り、心配して何度か訪ねた。しかし、顔を合わせることもできなかったという。

 アパートの周辺を訪ね歩くと、民生委員の話を裏付けるかのように、近所付き合いが少なかった父子の暮らしが浮かび上がってきた。自治会長や近隣の住民も父子のことをほとんど知らなかった。

 だが、父子が世間に背を向けていたわけではなく、むしろSOSを発信していたことが分かってきた。2年前の9月、三男は近くの地域包括支援センターを訪れていた。

 「父の徘徊(はいかい)や妄想がひどい。夜に工場で働いているので、夜は面倒を見ることができない。夜に利用可能で、低額な介護サービスはないか」という相談だった。

 センター関係者によると、三男は、センターの紹介を受けたグループホームや高齢者福祉施設を訪ねたという。だが、施設を利用した形跡はなく、連絡は途絶えた。

 三男が訪ねた大津市の福祉施設の男性介護福祉士によると、希望や都合に合うサービスがなかったという。彼がその後、介護サービスを探した形跡はない。多様な福祉メニューと一見、複雑な手続きを前に、あきらめの気持ちが先に立ってしまったのだろうか。

 困っている人は心も体も疲れている。さまざまな支援制度があっても、「制度の壁」を感じて支援にたどり着かない人も少なくないのではないか。「自分でなんとかしようとする人ほど、仕事の都合などに合う支援を見つけるのが難しい」と、ある介護福祉士は話す。

 人はさまざまな理由で困難に陥る。深刻な障害や貧困でなくても、複数の事情が重なり身動きがとれなくなることはある。しかし支援制度があるのかどうか、あったとしてもどう利用したらいいのかわからない。大津市の父子はそんな状況だったのではないか。

 困っているが、障害者福祉や生活保護にはあてはまらない人たちを支える手だてが要るのではないか。取材を進める中で、こうした問題意識を持つ人たちに出会った。

 大津市で9月から、福祉NPOや法律事務所、診療所など6団体がある事業を始めた。対象になるのは問題が複数の領域にまたがる人。例えば「就職したいが体が弱くて失敗続き。住宅や金銭的にも困っている」という人だ。

 同事業に参加している司法書士の羽田慎二さん(47)は「さまざまな事情が重なり行き詰まっている人たちには、分野や担当で区切らず包括的に支援することが必要だ」と話す。

 専門性や組織が重視される現代で「分野や担当で区切らない」という発想を新鮮に感じる。新しい試みをこれからも注視していきたいと思う

滋賀本社・田代真也

南船北馬より

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