賢治の黒皮の手帳
雨ニモマケズ
雨ニモマケズは有名になりすぎ
聖人君子的な賢治像を生み出しましたが、
この詩が書かれたのは
仕事で上京したあと
肺の病気が悪化し
宿屋から両親や兄弟に宛てて遺書を書きます。
賢治はこの遺書を書いて2年目にあたる
昭和8年9月21日に他界しました。
賢治の黒皮の手帳に書かれている
「11・3」は昭和6年11月3日に書かれたものだといいます。
この雨ニモマケズは、単なる自己静養のための言葉ではなく、
自分が病気のために、もはや再起不能と実感した賢治が、
あまりにも病弱な我が身を
心から悔しく思い、
せめて今度生まれてくるならばこんなふうに・・・・」という
悲願をこめて綴った「祈り」の言葉だったのでした。
(宮澤賢治の魅力より)
厳しい自然条件や
厳しい生活の中で生きる東北農民の為に
身も心も捧げた賢治の生涯から
最後に、この詩の真の意味を知ったならば
詩にこめられた感情が
ふつふつと
語りかけてきます。