民話風法華経童話
六根清浄の功徳
お釈迦様が説かれたお話を聞く側の人々から、
聞いた人々が実行するお話について述べられている。
末法の乱れた世に
誰でも善の心をもちながら一人の人を救う気持ちの覚悟ができ
自分から行動をすることで
末法の法華経の行者であると認められる。
大きな寺に入ったり
名の知れた学者になったり
自分が格別、偉くなったようにうぬぼれて
人々の苦しみや
悩みを知らぬげに贅沢に暮らしているお坊さんも中にはいるが
本当の仏師ではない。
いくら、かっこうが良くても
六根清浄の仏師の功徳は得られん。
人間の寿命は短く
魂は生まれ変わりしても
来世も必ず人間に生まれるとは限らない。
佛さまと同じ姿の肉体をもった人間としての今生の寿命は
ほんのつかのまの朝露のようだ。
朝露のように
はかなく短い人生を
自分中心に他人のことも地球の平和のことも考えずに、
したいほうだい
考えずに
くらしていたら
その結果は
必ず
自分の魂にかえってきて苦しみもがくこととなる。
いつ、どこであろうが、相手がだれであろうが
耐える心をもって正しく分別でき、
試練に耐え精進していると誰もが、お釈迦様の使いであり、
男でも女でも、出家でなくても釈迦の使いの仏師であると。
身延山 短期大学 学頭 文学博士
松本 光華氏著書より