偉大な日本の母親の働き

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人が人としての働きに「少し疲れたなー」と
ふと自分をふり返るときには
青年も年長者等も
多くは
今のことではなく
記憶の奥にしまい込んでいた
少年期や青年期の
懐かしい友人や家族や、
多くは母親との関わりの場面のようにも思われ、

 

 

 

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それが尚一層、
強く心に現れてくるのが認知症で孤独になったときや
青年でも年長者でも気分が著しく低下しているときのようにも見受ける。

 

 

 

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介護の場面からの関わりから考えてみると、
たいそうに立派に結論付けたことでなくても
人が人としてかかわること、
体の調子はどうかな、
食事は、
トイレは、と考えることや
目と目を合わせ、
昔の日本の母親のように大きなゆったりとした懐で大きく包み込み、

 

 

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この子の為にと
カバンを放り投げる強さから
「心静まれ」と
言葉少なに
ありあわせで心込め、つくる丼は
いつしか子の笑顔を取り戻し
冷えかかった心を湯たんぽのようにあたたかく包み込む。

 

 

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日本の母親の働きは
コンビ二がなくても
心使い、
気遣いが
上手く使いこなされていたのだなーと
介護現場と
子育てと
地域に必要なことと重なった。