生きていたから掴むことができるもの
新年の挨拶や久しぶりの人との対面時に良く言われる言葉がある。
「頑張っているよね。大変だよね」と言われるが、
決まって返す言葉は「いえ、好きでやっていますから」と笑顔で返答することが多い。
世間では足元に及ばぬくらい真の意味で努力をされている人々が大勢いるが、
自分のレベルでは、
何とも気恥ずかしくどのような顔をして真面目に応えたら良いのかと悩むことがある。
自分以外のことで、
誰かの為になることを進んで行う行動は、
人生の中での苦い思い出から、
やっと掴むことができた自分ながらの価値観が働いているだけである。
「どのような名誉をいただいた人々でも、
大金持ちでも、
人には必ず平等に最後がやってくる」
こんな簡単なことであるのだが、
真の意味で理解し「なるほど」と鈍感な自分が納得する為には、
随分と時間と痛みが必要だったように思う。
真に生きるとは、
明日、暮らすお金に欠く日々であっても、
病み老いた体であっても、
自分の境遇に不平を言わず亡き妻の墓前を参る姿は、
見た目では「可愛そうに」と思っても
懸命に命に逆らうことなく生きてきた日々から
この世を知り、
実は凛とした価値観が生き方となり自身を支えていたのだなーと、
夜中の消し忘れたテレビの
見も知らぬ一人の老人からまた「人生」を教えていただいた。