自宅の改善されない急勾配の階段は機能維持へと転換している
後期高齢者自身の考え方、物事へのトライの仕方が変わる中、
介護を支援する人等の考え方もときには思考能力を変える事も必要なようである。
高齢になったからと安易な安全を第一にした住まいの変更や、
過多な支援の導入は本人がもつ能力を落とすことにもつながる。
80代後半を過ぎた母親は、
寝室としている2階へ手すりも無い急勾配の階段を両手を使い
難なく上がってゆく。
誰が見ても危険と思われる箇所であるが、
夜中のトイレへと通う回数も入れると日に何度と上がり下がりを行っている。
数年前に母親の先祖が住んでいた岡山へ行き、
若い人でも息がつくような急勾配の山を上がり、
行き交う中年等の人々にも「うわー」と驚かれる場面があったが、
そういえば、日頃の階段の上る場面と山城によじ登る姿は同じスタイルだったと場面が思い浮かぶ。
夫を亡くした悲しみから塞ぎ込んでいた母親は、
山城を上りきった自信が大きな生きる支えとなったようだ。
ご先祖の思いに満喫する母親は、
武士の時代が終わり落胆していたと語り継がれている祖父の話や、
刀や短剣を戦争で拠出された無念さを
孫等に積極的に話す場面からも、
「岡山のご先祖様に助けられたのだろうなー」と思いが過ぎった。
今では長距離を歩く時には
冬は“そり付きシルバーカー”が必要であるが、
急勾配の階段は本人の“残存機能維持の生活リハビリ”となり、
今でも、山によじ登るように猫に負けじとすいすいと上がっている。