傾聴は自分の為
誰しも新たな仕事を始めるときや
再び新たな気持ちで物事に挑む時には、
自分の中での物事に対する強いポジティブな思いが働くが、
いつしか、
゛慣れ゛という気の緩みが 事業全体を包み込んでしまう。
その゛慣れ゛に指導ができない者は、
「一生懸命考え皆頑張っているから仕方ないのか」と、
あらゆる理由を見つけその゛慣れ”の空間の埋め合わせに埋没する。
人様の役に立ちたいという夢が
「こんな大変な仕事するんじゃなかった」と愚痴が生じる。
夢を抱き続ける場は、
自分との戦いの真っ只中の位置で、
その苦しみが良薬となり
内なるものを退治し知らぬ間に力となって成長を遂げ、
相手に明るく胸を張り指導ができる
″力を育てる場 ″でもあるのだろう。
苦しみは人生経験の学びの途中であることの証のようだ。
入り口の広い門は誰もが参入するが、
誰もが最後まで全うに継続するには
ゲームのように楽しく
日々のあらゆる難関を克服するパワーが必要で
生きているからこそのチャンスでもある。
″ボヤキ″の傾聴からエネルギーが湧き出る時間をいただいた。
話を聞く時には、どこかで通じるものを持ち合わせているようにも思われる。
ありがたい。