ボランティア活動には自分を取り戻す力が潜んでいる
人に関わる仕事の人々が疲れた自分を取り戻す為にも、
休み時のボランティアは必要なのだなーとしみじみ考える。
学びを生かしたい、
人の為に働きたいと、
人によっては幼い頃から抱いていた夢を実現することができても
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ともすると学びと現実での対応から
「自分は何をやっているのだろう」と見失ってしまう場面があり、
中には壁に突き当たる場面となることもある。
求めていたものと現実での狭間の中で苦しみ
生じた葛藤の解消を自分なりに努力している人もいるが、
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中には、全く違う場に身を置き
休日のボランティア活動等から、いち早く自分を取り戻す場面となることもある。
無償の奉仕と最低限度のルールに乗った短時間のボランティア活動は、
相手の求められるものから活動に喜びをいただける場面となる。
80代の方への支援から、
ソーシャルワークの理論も展開も知らないのだが、
反対に永年の人生体験から人間ソーシャルワークを地で発している場面と出会うことがある。
支援をする側で構えていた自分から、
少しのボランティアから、こちらが支援を受けている立場へ展開しているのである。
鎧を着ずに純粋な素で向かう心から一層そのことがビンビンと伝わってくる。
ボランティアは相手がいて成り立つ支援であり、
やっぱり互いの助け合いになっているのだと考える。
疲れたときこそ多くのボランティをさせていただくのも、従事する前の自分を取り戻す近道と現場から思われる。
3月18日、今日は春の彼岸である。
見えない
ご先祖様に手を合わすのも心の安定を導いてくれることだろう。