子の痛みは親としての成長の糧
最近は何気ない会話から子供が受けている試練の会話が多く、
「この世に親というほどありがたいものは無いのだなー」と
重なる場面に気づきをいただいている。
親としての個人、
働く婦人としての個人、
どちらも同じ一人の人間であるのだが、
親として心の痛みを伴った場面の一人の人間こそ、
一生の中での心の成長を短期間に得る貴重な時間となり、
話を聴かせていただくだけであっても、
表情は変り
子供への「愛」が痛いほど届いてくる。
兄弟が多く日頃から遠慮なくけんかをした子は、
加減という微妙なけんかの按配を知り、
相手への痛みを知ることができるように、
少しでも年齢の低いうちに痛みの経験をすることは
痛みの瞬間は辛くても
後に親が存在しなくなった場面での
「独り立ちの鍛錬の場を与えていただいているのだ」と思うと
今の痛みが何ともありがたく受け取ることができる。
人の話を聴かせていただくときは
「この場面での教えは何なのだろう」と考えると
そこに多くの学びがあることを知らされる。
ありがたい・・・