劣悪な環境をも最良とする
環境
「自分にとって良い環境から
必ずや良い仕事や良い生き方ができるというものではない」と
考えさせらる場を1枚の年賀状からいただいた。
自分の意図する仕事とは正反対の場に就いても、
信念を諦めず腐らずコツコツと努力をすることで
わずかながらの灯りから楽しみを見つけるように
劣悪な中においても中身の濃い仕事ができ、
誰もが認められる場へと陽の目を見ることができた。
人生には、一度や二度、
大きな転機が誰しも訪れるが、
その中から何を掴むのか、
身を裂かれるような辛いときほどより大きな教えがそこにはある。
日々の業務の中においても、
困った!と思うときほど、
逃げずプライドを捨て自分の考えを伝え関係者で話し合い、
本音で語り、
それぞれの考えを知り行動に移すと
「あーあの事があったおかげさま」と感謝が湧き上がり、
よりチームの結束は固くなり誰も恨む者は存在しない。
問題の多くは、うっすらと変だなーと知りつつも
「まーなんとかなるだろう。研修でもいって学んでもらうか」と
足元を固めず
自分の手から誰かの手にゆだね見て見ぬふりをした場面から、
大きな落とし穴が待っている。
職場の人間関係と認知症介護は共通していると考える。
認知症の人の周辺症状から「誰かー聞いて!私の心の中を!」と
言葉にならない声や態度、行動からのわずかなシグナルを見過ごしてしまうと、
後で、何倍もの介護を必要とし、
それまで嬉しかった言葉も、落ち着く環境への移動も、
どれもこれも怒りに変わり
周りの穏やかに生活をしている人々まで巻き込んでしまう。
しかし早めのキャッチから、
その人が求める対応から何事もなかったように事は収まり、
次回からの対応の申し送りの徹底で回避する事が出来る。
そこに共通するのは「人」である。
「人の心知らずしては、どのような介護も仕事も上手くはいかないのだよ。わかるか」と、
多くの疎遠になっている人々の顔が浮かび、
自分自身へ問いただす場面へとハガキからの結末となった。
ありがたい。