鑑真和上ブログ掲載から、お便りをいただきました

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昨日のブログから、市内の福祉課長からお便りをいただきました。

 

 

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ご本人のコラムに掲載されたものです。

 

 

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今からおよそ千二百五十年程も前のこと、中国から渡来し、日本型仏教の礎を築かれた鑑真和上(がんじんわじょう)のお話です。

 

 

 

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▼鑑真が、中国の揚子江流域で、律宗の高僧として、四万人の弟子に受戒を与えたり、律を講じていたときのことです。

 

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 聖武天皇の勅命を受けた二人の僧侶(遣唐使)が訪れて「仏教の正しい教えを日本に伝えて欲しい」と熱心に頼みました。

 

 

 

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了解した鑑真は、弟子に諮るのですが返答がありません。遣唐使は、二百年間で十五回・四十隻が派遣されましたが、海難事故で十二隻が海底に没した程で、当時の日本行きは命がけのことでした。

 

 

 

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そこで鑑真は「これ仏法のことなり、何で命が惜しかろう」と自らがいくことに決めました。

▼それ以後、何度か出航しますがことごとく失敗します。

 

 

 

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五度目のときには、遠くベトナムへ漂着したほどで、陸路を三年がかりで唐へ戻る途中、浜の塩風が目に障り、ついには失明してしまいます。

 

 

  

 

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そして、最初の出航から十一年を経過した七五三年、六度目の密出国に挑み、ようやく沖縄に漂着することができました。

翌年、二十一人の弟子と奈良の都に着いたとき、鑑真は六十七歳になっていました。

 

 

 

 

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▼それからは、東大寺・薬師寺・観音寺に戒壇を設置し、唐招提寺に僧侶の修行所を設けたほか、豆腐や味噌の製造法、

 

 

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漢方薬、高級絹織物、銀器、工芸品、経典、さらには建築・古墳技術などを伝え、

 

 

 

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飛鳥文化の発展に計り知れない功績を遺されました。

 

 

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長くなりましたが、送られていただきました文章を記載することも心の文化の継承と思い、感謝の気持ちで掲載させていただきました。

 

 

 

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最後までご拝読いただきありがとうございました。

 

 

 

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