楽しみ喜びは、何日も記憶が維持されていた

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認知症を患う人の中には、

若い頃に幻聴・妄想を伴う統合失調症を発症された高齢の方が増している現状である。

妄想は認知症の一症状ではなく、

現実の生活の中で生じた心理的反応という精神科医もいらっしゃるが、

介護者の視点が変わると確かに介護者からのまなざしが違ってくる。

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そのような考えは認知症ケアの基本でもあり、

確かに

徘徊等も、

なぜ、徘徊に至ったのか、

どのような心理状態だったのか、

一人暮らしをされている認知症の人も多くなっているが、

認知症になっても全員が徘徊するわけではない。

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薬を服用したかどうかが分らなくなったり

時間が不明となっても

一件の家の主としての役割や

町内会の一員と言う立場も継続されているなかにおいて、

独居で90代前半の認知症を患う女性は、

親として子供等に迎合することなく

凛として

時に、子供等は「可愛くない」と言うが、

その親としての権威をしっかり持ち備えているからこそ独居生活が何とか維持されているのだろう。

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「回転寿司へ行きたい」とおしゃべりから発展し

ご本人等が企画された楽しみは

数日前から忘れることなく

当日を迎え

「今日は朝ご飯はぬいてきたよ」と「えへへ」と記憶がしっかり維持されていたり、

「ありがたい。90を過ぎたばあさんが手を引かれて寿司を食べに行く事が出来るんだからな、

こんな幸せな自分は無い」と

何度も何度も、繰り返すように

自分の過去から現在に至る人生を回顧し認める場面があった。

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「食事は、みんなでこんな風に話しながら食べるのが美味しんだ!」

「子供等はね遠いんだ。自分は行くところは、ここだけだから」と、

現場の声は

どの教科書よりも適切に的を得て深くズシンと入ってくる。

共に同じ話を1時間を過ぎた中で10回は話し合っていても

共に聞くのは初めてなのである。

誰一人として、

「さっきも話したよ。あんた変になったんでないの」という人は誰もいない。

冷たい目線もない。

「そうだよ、私もその〇〇町にいたんだよ」

「あんたは、ご主人がいるからいいね。私は一人だも・・」と

これは、アカデミー賞の役者も出来ない事だろう。

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認知症の人の仲間の集いの場は、

「何と素晴らしい互いの環境なのだろう」と、改めて大きな学びと、

「もっと喜ぶ場面を設定させていただき進行を抑制しよう、

介護現場にしかできない抑制があるのだ!」と

人生に寄り添うことの大事さを痛感する良き刺激をご利用者からいただいた。

・・・・・・・

ありがたい・・・貴重な時間にこちらが心から感謝である・・・

帰りの車の中では、

次の計画が練られていた。

「おにぎりをもって、コスモスを見に行きたい」・・と。