看取りについて語り合う時間
昨日は、グループホーム協会関係者と「看取り」について、
語り合った。
今こそ、多くの人々に知り渡るようになり、
理解も納得も得られるようになったが、
平成18頃には、
あまり口にするのも難しい時代であった。
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(手づくり焼き豚入りラーメンと栗ごはん)
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しかし、好む好まないにかかわらず、
看取りをせざるおえない状態となり、
初めての場面では、
正しい知識もなく協力医師の指導により終了する事が出来たが
「何と、穏やかに逝くものだろう」と
生きる事と死ぬことの継続性について考えさせられる場面となった。
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「看取り」の重要な視点は最期の場面前に、
家族が悲しみを表現できる支援をすることだと体験から思えてくる。
実際に介護していたご家族なら尚のことである。
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それは、対面の話し合いの場であったり
ホームにて一人になれる場であったり、
逝く人との場であったり、
自宅であったり、
その都度の家族への支援も忘れてはならないことだと思う。
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また、24時間以内の診断の必要性は、
キーとなる「医師法第20条」の解釈により状況も緩和されてくる。
この情報は早い時期に関係者等は勉強をされていた。
しかし、在宅往診医師の増加を図らなければ、
今後、在宅中心のケアが求められても、
絵に描いた餅となる。
オランダでは、より一歩進みインフォーマルのマントルケアが推奨されているが、
行政の人の話では、やはりオランダでも今後、看取りも在宅で行われるという。
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(食の喜びから・・食べられないことを認める支援へと)
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日本ではグループホーム等には運営推進会議があり、
この活用でいかようにも地域へ発信できる場となる。
多くの介護技術や
看取り、
また、消えゆく日本の伝承や高齢者からいただいた知恵を伝える事が出来る。
災害についても専門の関係者しか知らない話題を
参加者の体験からの実話も聴かせていただける。
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9名と言う少人数の認知症のグループホームだからこその
地域密着型地域貢献を熱く語り合う時間となった。