「まだまだ心が小さい自分と気づく場面」
自分の徳の無さを
正月明けから披露するとは夢にも思わなかったが、
実家への帰省から、
「まだまだ心が小さいんだ。
人間ができていないのだ」と痛感していた自分がいた。
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老いた親の行動や生活の様子から
「もう少し、身支度をしっかりして頭に櫛をいれなのだろう」
「着る物もあれだけタンスにあるのに、なぜ・・?」と、
若い頃の親の姿と、知らないうちに比べている自分がいる。
他の人よりも少し学んでいるのだから尚更の事、反省する次第だ。
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過去にも、
自分の心のレベルがどの程度なのかと思う時には、
母親への接し方から、
自分の心の幅を間接的に教えられる場面が多々あった。
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しかし、何日も悶々としていた心を打ち消すように
「父母恩重経、日本福祉大学前学長監修」という、
孫にと、購入していた子供向けの本が、
乱れた心を整える。
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人が、この世に生まれる為には、
縁のあった両親から生まれ、
父が無ければ生まれず、
母が無ければ育たず、
そこに生まれたことも「因」とし、
誕生した自分に、ふさわしい両親と縁があったようだ。
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確かに
自分が老いた親と同等の年齢に至った場面では、
どのような姿になっているのかと思うと、
母と比較はできない自分がいるかもしれない。
体験したことのない老いは、
その年齢を体験した者でないと理解はできないと言うことなのか。
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また、
誕生した頃の自分は親の生活の場面を見ていたわけではない。
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あの産みの痛さや
眠りを妨げる授乳の回数と、
ただれないようにと何度も何度もおむつを交換、
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文中にも
「母の懐をねぐらとし、
母の膝を遊び場」と、ある。
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寒い時にも、暑い時にも
病気のときも、
学校で無事に過ごしているのかと案じる場面でも
母親が捨て身で挑むのも
どの親も子への無償の愛からである。
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子から教えられ
親から教えられ
まさに生きる事は修行の一日を与えられているのだと、
自分の心の狭さから親への感謝をさせていただく貴重な“とき”をいただいた。
まだまだ、修行が足りない自分だ。
心を正すには、良き本との出会いが大事なことも教えていただいた。