最後・・最期、地域包括ケアはどちらを指すのだろう
リビング・ウイル
人生の最終段階時のことを日常から考えておくこと。
どのような人々にも死は必ず平等にやってくる。
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高齢者ばかりではなく、
若者も
中年の人にも無縁ではない。
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最終での延命をどのようにするのか、
介護現場も、
入居の段階で、ご本人や家族様へ周知する。
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いつ緊急時に病院へ搬送されるかがわからず、
その場面で判断をゆだねられても冷静な判断はできないと思えてくるからだ。
本人の希望・家族の希望をお聞きするには、
何度も、何度も体調の変化時やお元気なうちからの話し合いが必要だ。
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先日の『もしものときを考える集い』では
とよひら・りんくの小冊子が配られたが、
非常にわかりやすく医療や介護の関係者でなくても理解することができる。
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高齢者110番の家『きたほっと地域食堂」でも
介護現場の現実や研修からの学びをお伝えすると
『延命は望まない』と希望される人が多い。
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決して看取りを奨励するものではないが、
『どのような場面での延命が必要か、
この場面では延命はいらない』等、
今後は自らが場面を想定した記録を残すことや、
家族へ伝える事で
慌てて病院へ駆け込んだ家族への負担が軽くなり
残された家族への後悔をもたらす事から遠ざかるように考える。
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道東脳神経外科病院、木村先生の事例報告における
短期間での人らしい生活を望むのか否か等、考えさえられる場面であった。
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しかし、
住み慣れた家で独りになっても最期を望むには
在宅往診医師の拡大がなければ困難な事は言うまでもない。
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地域包括ケアの
『重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで
続けることができるよう・・・』とあるが
住み慣れた地域で住み慣れた家で、
最後はもちろん最期であるべきで選択の自由がそこにあって当然なのだろう。