最期の場をどうしようか・・・と地域の集まりで語る時代
今、認知症という病気を知りたいと集まる人も多いが、
それ以上に
多くの高齢者が最期の場所を何処にするのかと言う
話し合いの場を多く求めている。
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研修など、お話の終了後には、
『どれぐらいグループホームは経費がかかるのか』と
具体的な話を歩きながら帰り際に質問をいただく場面となる。
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元気な高齢者が地域食堂ボランティアで集まる場も、
通っていただける来客からも
高齢者住宅が地域に存在することにより
なんだか安心するような気がすると言われ
その後に続く言葉がある。
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必要になったら友人や姉妹で高齢者住宅に入りたい。
ときどき泊まらせてほしい。
自分を知る人のところで看取りをお願いしたい。
と・・・
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『いいんだよーOK!』と言いながら、
それではと、
こちらからもすかさず提案をさせていただく。
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・看取り時の地域ボランティアが必要だよねー・
いくら安心と言っても、
互いの子育てのときから
自分等を知る人達が、
手を握り安心を届ける人がいると安心して旅たつことができるよね~と。
すると、
すかさず『そうだわ!』と。
これはご近所でも同様である。
夫婦のみで見送るのも心細く地域の誰かが側にいるだけで随分と心が安定する。
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有償と純粋なボランティアの両方を使い分けるのも
自分自身からの
人生最後の設計であり自分へのシナリオつくりである。
青写真を何枚もつくり、
また、変えていくのも自分から始まった人生への自分らしさのような気がする。
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心元気に今を生き、
最期のときをみんなで語り合う時代となり
これが“超高齢社会の地域の現実なのだ”と教えられる。
今、最期の場面にグループホームが上げられるようになったが、
10年前には考えられないことであり、
入居者9名のグループホームで24時間見守り体制の中で最期を求める人が多いのも
制度を知る人が多くなったことの証と言えるのだろう。
また、そこに医師や訪問看護が外部から入れるようになったのも
グループホームの看取りを牽引していたのだと思われる。
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地域に存在するグループホームや高齢者住宅(サービス付き)は、
365日、管理者やスタッフ、
サ高住では生活相談員が在籍している(確認必要)。
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親を案じる遠方の子供さんも電話からの元気な様子に安堵しても、
実際に数日暮らすと
変化している両親に驚くことが多いのが
帰省から多く聞かせていただく話である。
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日曜・旗日・正月は地域包括や行政が手薄になっても
普通に動いている施設もあるのだから、
そこを活用することも地域の社会資源の一つであり、
地域が、そのように牽引する力を求め育てていくことも大事である。